引き寄せてポジティブライフ

幸せになりたすぎて模索中

嫌なことを嫌だと言う努力

嫌なことをはっきり嫌だと言えてますか?

 

私はかなりはっきりした性格で、嫌なことは嫌、やりたくないことはやりたくないとはっきり言うタイプ、だと思ってきました。

〜だと思ってきたわけですが、実はそうでもなかったことに気付いてしまいました。

 

私がNOと言えるタイプなのは間違い無く、仕事や人付き合いの上でやりたくない事や好ましくないことに対しては「NO」とはっきり拒絶することができます。ついでに言うと真剣に代替案も考えます。普段は流されていますけれども譲れないポイントに対してはとても頑固になることもあります。

 

そんな性格のため、私は《嫌なことを嫌だと言う》タイプなのだと、ほんのついさっきまで思っていました。

私がNOと言えないこと

私がNOと言えないのは、自分の尊厳を傷付けるようなことに対してです。本来なら最もNOを言わなくてはいけない場面で私はNOと言えなかったのです。

 

例えば私は「お前には興味がない」としつこく言われてとても傷ついていました。興味がない、どうでもいいと頻繁に言われるたび私の心はズタボロに傷付いていました。

自分を傷付ける言葉を言われている時の私は、ぼーっとしてやり過ごしてきました。

本当なら怒ったり、逃げたりする場面で、ただぼーっと聞き流してきました。

 

そして私が無表情でやりすごすと、相手は調子に乗って何度も何度も、何度も何度もその言葉を繰り返すようになります。

そして私は病みます。

すると病んだことを責められます。責められている間、私はぼーっとやり過ごします。あんまりしつこい場合は泣いて謝っていたりしますが、それは条件反射みたいなもので心はボンヤリです。そうすると相手は何度も何度も何度も繰り返し攻め立てるようになります。

 

自分が傷付くことを「私が傷付くことを言うのはやめて」とはっきり言えずにやり過ごしてしまう悪癖が、モラハラの素質がある男性を立派なモラハラ男に育て上げてしまうのですね。

これこそがモラハラ男育成プログラムなのです。

傷付いている自覚がない

ツラい時にわたしは乖離する癖があると指摘されていました。言われた内容はしっかり覚えているので乖離まではいかないかもしれませんが、強烈に現実逃避していることは確か。

尊厳を傷つけられることを言われた瞬間、わたしはぼんやりしたしまうので、傷付いた自覚がありません。酷ければ酷いほどぼんやりするから、胸の痛みも悲しみも感じなくなっていきます。

本当は辛いんだけど、辛いという自覚ができなくなっていくのです。

わたしも酷いことを言う

ぼんやりと流してきた言葉は、ある日突然暴れだして誰かに向かっていきます。

それが私を傷付けきた人間に対してだけでなく誰彼構わずぶつけてしまうこともあります。

周りが大人なので見逃してもらえることもありますが決して生きやすくはありません。人間関係もうまくいきません。

ぼーっと受け流してきたつもりの酷い言葉は私の中に溜まっていっていたのですね。

嫌なことは嫌だと言うか、逃げるべし

嫌なことを嫌だと言わず流しているとこんなに恐ろしい事になるのだなと改めて思いました。

自分では傷付いている自覚がなかったから、嫌だと言う必要も感じていませんでした。

それが一番恐ろしい。

嫌なことは嫌だと言う。簡単だけど難しい、大切なことだと思いました。