イライラする時は、自分の常識を疑ってみる
生活していると、イライラすることってたくさんありますよね。
最近、自分の中で考え方が大きく変わる出来事があり、今まで「あいつ常識ないな」とか「普通こうだろ」って思っていたことに対して、もしかして自分が異端なんじゃないかと考えるようになりました。
そしたらイライラしなくなったので、今日はその話を書きたいと思います。
とある神社のイベントでの出来事。
私はある日、神社に島原太夫が来て舞を奉納するというイベントを見ていました。
一通りイベントが終わると、司会の人が「それでは一般の方たちもお写真をどうぞお撮りください」と言ったんですね。
そうしたら、参道の脇によっていた観光客の2人が参道の中心に立って撮影をし始めて、それを見た周りの人たちも「中入っていいんだ!」って言う感じでわ〜っと中心に集まって撮影を始めました。
それを見ていたテレビ局のスタッフらしき男女が「あ、そう言う感じ?」「一般の人は思いもよらぬことをするからなぁ」って話していたんですね。
でもさ「参道に入らないで」と指示もなかったし、撮影していいよって言われたら中心によってもいいと思うのはそこまでおかしいことではないよね。
司会の人は注意しなかったし、”一般の人”にイベントの進行なんてわかるわけもなく、もし中央に寄るのがダメなら完全に司会のミスだし、その場での多数決でいえば、”進行を知ってる関係者”より”進行を知らない一般人”のほうが多いんだから、一般の人を「常識がない」とは言えないんじゃないかと思ったわけです。
それを見て、今更ながら「常識って立場によって変わるんだなぁ」と思ったんですよね。
イライラするのは相手が常識外れだから?
そして、私がイラつく時に一体何にイラついてるのか考えてみたら、だいたい「普通に考えたらわかるでしょ!?」と言うようなことを相手ができない時。
バージョン管理をしてるのに直接FTPでファイルをアップしちゃったりとか。私の中では「バージョン管理してるしrsyncでデプロイしてるのにFTPでアップって…!」って怒りがわいてきたりするんだけど、それで激怒してると「でも知らないんだから仕方ないですよ」って怒ってる私が気にしすぎみたいな扱いをされるわけです。
で、ドキュメントも渡して口頭でも説明して勉強会までしてるのに知らないなんてことがあるか!って怒ってるとまた私が非常識みたいな扱いになるわけです。
誰もわかってくれない!
ってすごくイライラしてたんだけど、ふと思ったんですよね。
怒ってるのが私だけで、周りは「別にいいじゃん」って言ってるってことは、むしろ私が非常識なのでは?と。
一般常識って多数決で決まると思うんですよね。てことはバージョン管理すっ飛ばされて怒ってるのが私だけってことは、そんなこと(と私は思えないけど)で怒る私の方がうちの会社では非常識だったんですよ。
このことに気付いた時はいろんな意味で衝撃を受けたものです。
イライラする本当の理由は自分が非常識だから。
例えば私がお客さんとしてお店に行って、スタッフに発送方法を聞いたとします。「はぁ〜〜〜ですからぁ〜〜〜」ってため息をつかれて私は怒ったことがありました。
でも、そのスタッフは問題なくずっとそこで働いているわけで、立ち寄った私の方が最初から異分子な状態。
そのお店のスタッフにとってはその接客が”一般常識”なのであり、店員と客って立場じゃなく家族であったとしてもありえないと思ってしまう私の方がファミマでは”非常識”になるわけなんですよね。
冷静に考えて、どう考えても非常識な相手がプリプリ怒っていても、より一層非常識感が増すじゃないですか?異分子である私が怒ったとしても、非常識な客としてみられて惨めになるだけなんです。
だから、自分的に非常識な行動を取られても怒るのは視点を変えるとものすごく惨めな行動になってしまうのです。
イライラしないと1日中ゴキゲン!
そのことを悟ってから、全然イライラしなくなりました。今まで散々叱ってきた後輩たちに申し訳ないなと思います。
イラっとしたら「ここでは私が異端ってことか」と思うと、腹をたてるどころか周りに合わせようと言う気持ちになるので不思議です。イラつくことが減ると嫌な気持ちになることがなくなって、1日いい気持ちで過ごせるんですよね。
もしもあなたがよくイライラして怒りを抑えられないのならば、まずは自分の常識を疑ってみるのをお試しください。